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大阪高等裁判所 平成5年(く)146号 決定

主文

原決定をいずれも取り消す。

理由

本件抗告の趣意は、申立代理人小嶌信勝及び検察官藤田充也ほか二名作成の各抗告申立書記載のとおりであるから、これらを引用するが、論旨は要するに、本件各提出命令は刑訴法九九条二項に違反しているから、それらの取消を求める、というのである。

そこで所論にかんがみ記録を調査して検討する。

本件各提出命令の対象とされているのは、主として伊藤萬株式会社(平成三年一月一日にイトマン株式会社と商号変更した。以下「伊藤萬」という。)をめぐる商法違反(特別背任)事件であり、その内容を要約すると、被告人Aは同年一月二五日まで同社の代表取締役社長、被告人Bは平成二年二月一日から同社の本社企画監理本部長などの地位にあり、被告人Cは関西コミュニティー株式会社などの実質的な経営者であるが、(一)被告人三名が伊藤萬取締役兼名古屋支店長Dと共謀のうえ、自己らの利益を図り同社に損害を加える目的をもって、被告人A、同B及びDが任務に背き、同社からゴルフ場開発工事資金名目で、被告人Cが実質的に経営する会社に貸付をし、担保不足額一四六億円相当の損害を伊藤萬に与えた(平成三年(わ)第二九九五号)、(二)被告人A及び同Bが前記Dと共謀のうえ、同様の目的をもって、任務に背き、伊藤萬から同様の資金名目で、被告人Bが代表取締役である会社に貸付をし、二三〇億余円相当の損害を伊藤萬に与えた(同第二九九四号)、(三)被告人A及び同BがEと共謀のうえ、Eの利益を図り伊藤萬に損害を加える目的をもって、被告人A及び同Bが任務に背き、伊藤萬から墓地造成開発資金名目で、Eが代表取締役である会社に貸付をし、九億余円相当の損害を伊藤萬に与えた(同第三二八三号)、(四)被告人B及び同Cが前記Dと共謀のうえ、自己らの利益を図り伊藤萬及び子会社で被告人B及びDが代表取締役である株式会社エムアイギャラリーに損害を加える目的をもって、被告人B及びDが任務に背き、伊藤萬及び株式会社エムアイギャラリーが前記関西コミュニティー株式会社などから著しく不当に高額で絵画等を買い取り、三四七億余円の損害を伊藤萬及び株式会社エムアイギャラリーに与えた(同第二七一八号)、などというものであり、大企業の商取引に関連した損害額が巨額の、その役員や取引相手ら関係者も多数にのぼる、大規模かつ複雑な経済事件である。

原裁判所における審理状況をみると、被告人らは、各案件が通常の取引の一環として行われたもので融資金の回収も可能であったなどと主張し、特別背任の任務違背、図利加害目的、犯意を全面的に否認しており、これまでに四一回にわたり公判期日が開かれ、伊藤萬の経営実態など背景事情を中心に各被告人及び各案件に共通する事項について、検察官によるいわゆる総論立証が一応終了し、これに引き続いて各公訴事実ごとの各論立証がようやく緒に就いた段階にあり、その間に二〇数名の証人調べがなされたほか、一六〇〇点を超える多数の書証や証拠物が検察官から請求され、その一部が取り調べられているが、今後検察官の全立証が終了するまでには更に相当回数の公判期日が開かれ、多くの証拠が取り調べられることが予想される。

ところで、各被告人の弁護人は、平成五年一月以降数次にわたって証拠物の提出命令を申し立てたが、その申立ての理由は、要するに、各被告人による融資等の動機、目的や各案件の内容などを明らかにするために、当時の伊藤萬及び関連会社の経営状況や主力銀行の住友銀行との関係、資金調達及び企画料など収益処理の実態、商社金融における不動産案件の位置づけなどを、資産価値の極端な膨張を特色とするバブル経済を背景にした商社の経営戦略の観点も考慮して解明することが必要であり、これらを伊藤萬グループ全体の計数関係資料などの証拠物によって立証する、というものである。この申立てを受けて、原裁判所は刑訴法九九条二項に基づき本件各提出命令を発したが、その内容は、名宛人を抗告申立各会社ほか一名とし、対象物件を、(一)伊藤萬及び関連七社の昭和六〇年から平成四年の決算期にかかる総勘定元帳や補助元帳などの経理関係書類、(二)伊藤萬において開催された会議の議事録、(三)伊藤萬の在庫評価委員会等に関する書類、(四)伊藤萬と取引先との間の資金援助等に関する文書、(五)伊藤萬元副社長らの業務日誌等とし、ほぼ右申立てどおり認めている。

そこで、以下本件提出命令の適否について判断する。

刑訴法九九条二項の提出命令は、証拠調べの必要があるときに、証拠物等と思料される物を指定して発せられるものであり、その名宛人に提出義務を負わせる強制処分であることにかんがみると、審判の対象とされている犯罪の性質、態様や軽重などを考慮したうえで、証拠としての価値及び必要性のほか、特定性や代替性、名宛人が受ける不利益など諸般の事情を勘案して、その是非を判定すべきものと考えられる。

ところが、本件各提出命令は、前示のとおり、検察官立証がようやく各論段階に入ったばかりで、被告人らによる各公訴事実に対する認否及び意見陳述はされているが、弁護人の冒頭陳述は行われておらず、事件の具体的争点が煮詰められていない状況で発せられている。弁護人が前記申立ての理由中で主張している伊藤萬の経営実態などは、犯罪の成否に関係する具体的事実の指摘ないし主張を欠くいわば抽象的な意見にとどまっており、これを受けた本件提出命令の対象物もいかなる具体的要証事実を立証するために必要とされるのか判然としない。

さらに、これまでの検察官立証を前提として、その対象物の必要性を検討すると、伊藤萬や関連会社の経理概要は取調べ済の証人のほか、有価証券報告書、月次試算表、決算資料などの証拠によって一応明らかとなっており、その経理概要では足りず全会計帳簿による財務分析を必要とする理由は窺えず、また、右資料や捜査報告書などの作成過程の正確性を疑わせる事情もこれまでの証拠調べを通じて出ていない。報告書類等の基礎資料について疑問があれば証人尋問の際に確認し、または個々に証拠開示等の方法によって解明するのが相当である。さらに、監査結果報告書も取調べ済であるが、「会計監査人監査実施状況等について」と題する報告書では企画料等の参考事項に関しても指摘がされており、必要があれば多くの日数を要して全国各事業所の会計帳簿を調べた監査法人の担当者らを証人尋問することも可能である。してみると、総勘定元帳や補助元帳などの経理関係書類一切を提出させることが現段階で必要になっているとは認め難い。元副社長の業務日誌等についても、その一部は取調べ済であり(元名古屋支店長の日誌等については既に保管者から提出されている)、在庫評価委員会等に関する書類については、今後各論として検察官立証の対象案件に関するものであり、その立証結果をまって要否を決すべきである。以上を要するに、既に取調べ済の証拠及び他の立証方法も考慮すると、検察官立証の途中である現段階で、本件各提出命令の対象物につき提出を命ずる必要性を肯定できるものは見当たらない。

しかも、抗告人住金物産株式会社の申立て理由によれば、同社が保管する伊藤萬の「伝票元帳」八か年分の量だけでも膨大なものになり、提出前にその写しと目録を作成するだけでも相当な労力と費用を要し、同社の業務に多大の支障を来すことが窺われるのであって、この事情は他の抗告人会社についても同様であり、これら提出を命じられた者の受ける不利益は軽視することができない。

以上の諸事情を総合すると、争点が具体的に明確化されず、従って要証事実との関連性も十分に把握できない現時点において、包括的かつ大量の会計帳簿類を含む物件の提出を命じた原決定は、いずれも証拠調べの必要性に関する判断を誤っており、合理的裁量を逸脱した違法なものである。各論旨は理由がある。

よって、刑訴法四二六条二項により、原決定をいずれも取り消すこととし、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官逢坂芳雄 裁判官石井一正 裁判官米山正明)

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